境界で

台北に引っ越した。まだ家決まってなくてホテルにいるけど。二週間のホテルでの隔離を経てようやく外に出たのが今日の昼、少し足がふらついた。隔離中はほぼベッドでyoutubeとか見てだらだらしてたので先月までの千葉の自宅にいたときと感覚が変わらず、部屋を暗くしてしまうともう本当に自分がどこにいるやらわからなくなった。今日満を持して外に出たら街並みが完全に台湾でびっくりした。

暑さは心配していたほどでもない。出発前の千葉・東京のほうが断然暑かった。ホテルに籠っている間に夏が過ぎ去ったようだ。出発直前の数日は銀座のエアビーに泊まって恋人と美術館に行ったりおしゃれ寿司を食べたり最高の蕎麦(築地・文化人)を食べたりして遊び呆けた。最高だったな。最高だった。

前にも書いたけど夏といえば死の季節で、お盆は言わずもがな、血のように赤い西瓜、花火とかセミとかの儚きもの、怪談話、そういうものが生と死の境界線をぼやかしてくる感覚がある。幽霊の気分になる。

 

幽霊。幽霊にずっと興味がある。

(1) 友人の金子由里奈が幽霊の声をテーマにした映画を撮った。「眠る虫」。好きな映画。もうすぐ劇場公開されるそう!めでたい。

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(2) 金子さんは以前、映像作品にぼくの作った「Ghost」という曲を使ってくれた。幽霊のつもりで書いた曲。「眠る虫」はバス映画ですが、この作品もバス。バスも電車に比べるとちょっと死っぽい感じがする。知らぬ間に知らぬ場所に着いてしまいそうな感じが。

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(3) 金子さんと知り合ったのは、soundcloud で金子さんの音楽をたまたま聴いていいなと思ってフォローして、そしたらどうやら金子さんもわたしの曲を聴いてくれたようで、それで Incandescence という曲を映画に使いたいと連絡をもらったのだった。この曲は友達が死んだときに作ったもので、Incendescence = 白熱光というタイトル自体はイーガンの小説から取ったものだけどそれはあんまり関係なく、ただ眩い光に飲まれるような状態を思ったのだった。ガードレールの向こう側、ヘッドライトの向こう側、夜の向こう側にいってしまうような。この曲は「Ghost」と一緒にアルバムとしてまとめた。

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(4)友人の死をネタにして創作するのって嫌だな。でも惹かれてしまって、そうしてしまった。そうする必要はまったくなかった。追悼ではなかった。死にたくないし誰にも死んで欲しくない。

(5) 二年くらい前、金子さんにはじめて会った。浅草のホッピー通りに行ってそのあと坦々麺を食べた。話すと異常に面白くて創作意欲がめらめらになったのを覚えている。「灯台」という曲を作った。これも死についての曲だけど、死んだ後の曲でもあって、死んでばらばらになって粉々になってそれで地面やそれ以外のあらゆる場所に浸透して、それでも遠くを照らして気高くあれるようにと思って書いた。

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(6) ばらばらになり、移り変わり、それでも場所として、「地面」として何らかのものである、そういう存在の仕方について考えていた。そのアイディアについてはいまでも全く上手く言語化できないけど、ele-king で始まった高島鈴さんの連載「There are many many alternatives. 道なら腐るほどある」の第一回「現象になりたい」を読んでウワー!これかも!と思った。結びの言葉はこうだ:「みんなでいっせ〜の〜せで腹をくくって、毎秒うつりかわる現象になろうぜ、私も人のこと言えないけど勝手に頑張るからさ」。すごい。そうだ、腹をくくろう。頻繁に挫けるけど。

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(7) 去年のいまごろかな、新美術館でボルタンスキーの展示をみてびっくりした。お前は俺か!?と思ったのだった。ボルタンスキーについて全く何も知らずに見に行ったのだけど、この人も死やあの世とこの世の境目をモチーフにしているような人で、それに電球やネオンサインを使ってて、親近感マックスだった。高島さんがボルタンスキー展について連載で取り上げてて、その文章もまたすごくよくて、それで興奮して連載のリンクを金子さんに送った。金子さんもあっという間に高島さんの大ファンになった。

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(8) そして金子さんと高島さんは友達になり、高島さんは「眠る虫」について素晴らしい文章を書いた(別に友達にならなくてもきっと高島さんは眠る虫を見てそして素晴らしい文章を書いただろうと思うけど)。嬉しい。高島さんも金子さん、タイプは違うけど、ドデカいものをどうにか引き受けようとする真剣さがほんとに好き。

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(9) 高島鈴が指摘しているように、生と死・生命と非生命・存在と非存在の境界線の軽やかな越境は金子由里奈の特徴のひとつだ。そしてそれこそが、ぼくが音楽を作り詩を書くときにやりたくてできなかったことだった。ガードレール、波打ち際、白熱光。境界線。

(10) 境界線を越えることはできなくても、境界線に立ち続けることで、生も死も引き受け続けることはできないだろうか?

 

ただ日記を書くつもりだったのに、高島さんの「眠る虫」評が素晴らしくて映画を観たときに受け取った感情をまるごと思い出し、それからふたりがちゃんと出会ったことがうれしくて、長々と思い出話を書いてしまった。「眠る虫」のDVDほしいなー。クラファンもっとしとけばよかった・・・。

台湾でちゃんとやっていけるかな。音楽ができるといいな。