土俵

誰だったか忘れたけど「クックパッドは今まで人からおおっぴらに評価されることがなかった家庭料理という家の中の仕事に目に見える形で評価を与えた、素晴らしい」というようなことを言っていて、おお確かにそうだクックパッド素晴らしいと思ったのだけど、最近ちょっとそれはほんとに素晴らしいことだろうかと思っている。世間の評価とか関係なくやってたことがインターネットの出現によって競争の土俵にあげられてしまって、それで不幸になってることのほうが多いんじゃないか?

料理だけじゃなくて音楽とかでもそうで、soundcloud とか bandcamp が流行り始めた当初はいままで表に出なかった人々の音楽がやまほど聴けるサイコーって思った、それはいまでもそうだけど、自分のような完全に趣味で音楽をやってるだけの人間でも再生回数とかいいねの数とか多少は気にしてしまったりする。再生回数を稼ぐには、例えば音圧をバキバキにあげるとか流行りの曲調にするとかもそうだし、ツイッターとかインスタとかでまめに情報発信するとかも重要っぽくて、自分はそういうことはやらないけど、最近の若いインディーバンドとか見てると youtuber のように毎日ストーリー更新したりして一生懸命やっている。

別に競争なんかしたくないし人からの評価とかどうでもいい、音楽も料理も仕事も自分が満足できればそれでいいと思ってるけど、それでも競争から降りることは容易ではない。競争から離れたところで生きていきたいけどどうしても気になるし、特に仕事となると、競争から降りても死なないでいるためにはまた別の強さが必要になってしまう。結局なんらかのかたちで強くないといけない、弱いままではいられない。

二十一世紀なのにいまだに我々は弱肉強食の、「努力したものが金を得る」のうらに「努力できないやつは死ね」のメッセージが隠された社会に住んでいる。しかも「努力したものが金を得る」すら嘘だし。なんなん。人類ださい。世界ださい。すぐ人類とか世界とか大きいことを雑に言うのがよくない。かといって個人の生活にこもるわけにもいかないので、手が届く範囲より少し広い社会をなるべく精密に想像するようにして、生きていきたい。がんばろう。競争ではなく。