たくさんの、でも有限の

高島鈴さんとワニウェイブさんの会話を読んだ。 http://altslum.com/2020/11/08/c3-01/
それで、

やっぱ基本的に「連絡しやすさ」って権力に対する回路を開く行為なので、整っていてメアドがあって仕事履歴がすぐわかるプロフってめっちゃ権力に把握されるためのものなんですよね。

高島さんがこう言っているのを読んで、ECDの「検索してもそこにはいないよ」って歌詞を思い出したのだけど、どの曲だったかが思い出せず、検索しても見つからず。前にも探したけど見つからなかったんだよなそういえば。

で、ようやく思い出した。Crystal Voyager に収録の Copying Kills Capitalism て曲でした。やっぱECDかっけーってテンション上がったので歌詞を書き起こしてみた。たぶん大体合ってるはず・・・。


Copying Kills Capitalism / ECD

ちゃらちゃらするだけでも命懸け へらへらしてるだけで嫌がらせ
音楽のことで頭がいっぱい デートの約束もすっぽかす
hokus pokus 一発屋フォーカス ヨーデル ロック その次はどう出る
ずるずるとそんな連想ゲーム 現在過去未来ぐるぐると
漂うロンビンソンクルーソー おはようウィルキンソン二枚刃
失敗は失敗 成功の母にならなくて構わない
パワーにならない てんでざまあない 役に立たない 燃やしても有害
癪に触るのは資本主義 コピー文化で締め殺す
ちゃらちゃらするだけでも命懸け へらへらしてるだけで嫌がらせ
煙幕張り巡らしてドロンする 検索してもそこにはいないよ
培養する mother fuckin' 黴菌を撒き散らす 紛らわしいフェイク
本物主義なんか糞食らえ 今度のこいつは頭に悪い
酸性雨を直接皮下注射 アシッドな悪夢に常習者
サイレン鳴らしてくる救急車 未来に止めを刺す No Future

 

ところで、このブログの説明欄には「そこにはいないよ」ではなく「ここにいます」と書いてある。これは The Pastels / Tenniscoats "Song for a Friend" の「ここにいますからね」という歌詞から取っている。Friend は dj klock を指していると思うのだけど、わたしもそのように、もう会えなくなった人とか、遠くにいる人とか、でもどうにか何かのかたちで繋がっていたい人たちに対して、ここにいますと書いたのだと思う。
https://pastelsthe.bandcamp.com/track/song-for-a-friend

 

権力とか社会とか世間とか、なんかよくわからないけど大きいものに対して「そこにはいないよ」と言う一方で、友人や恋人やその他の名前の付かないあなたがたに対しては「ここにいます」と言う。あたりまえだけど、そういうふうに、対象によって態度を使い分けている。その使い分け、公と私の間のレイヤーを、もう少し細かくしていけたら、全てが政治的にならざるを得ない現在を解体できるんじゃないかと思っている。

寝ます。