離れても

生活をちゃんとしたいという強い思いがあるけどどうにもできないまま今に至っている。もうちょっとちゃんと規則正しい生活をして毎日ちょっとづつでも集中して研究してればいまごろ准教授くらいになれてたんじゃないか、それくらい環境には恵まれてたんじゃないか、という思いがあって、無闇に落ち込んでしまう。でも一方で、自分は精一杯やっていたし、表面的にはだらけていても本当にサボったことはない、ちゃんと戦っていたんだ、という気持ちもある。それこそが自分の甘さかもしれないけど、でもどうにもできなかったものはしょうがない。

生活をちゃんとするために Habitica ってアプリを最近使っている。これは何らかのタスク(掃除するとか、歯を磨くとか、英語の勉強するとか)を自分で登録しておいて、それを達成したときにボタンを押すと経験値とか金貨とかもらえてゲーム内のキャラが育つというもの。アプリの存在は前から知ってたけどなんとなく使ってなくて、なぜかというと、こんなアプリを使ったら日常がゲームになって離人感が増すんじゃないかと怖かったから。でも特にそんな感じはいまのところなくて、筋トレとかいい感じで継続できてて嬉しい。もっと早く使っておけばよかった・・・。

作り続けることこそが才能だ、と言われることがあるけど、一度でも何かを作ったならもう天才だと思う。ただ、自分は年に数曲のペースで音楽を作れているけど、でも何かを作れた気はまだしない。いつもあと少しのところで失速して、毎回同じ曲が出来上がる。Bon Iver か長谷川白紙か Frank Ocean か Phil Elverum みたいになりたい。それでも、一番最近の曲の歌詞はとてもよくできた気がする。

ポスドクをやめようと思って民間企業で仕事を探している。いろいろ企業の人とかに話を聞くと、学術界においての自分の弱点とかコンプレックスが企業では逆に強みと受け取ってもらえたりして面白い。たとえば、僕の研究歴は浅く広くって感じで強みがなくて、狭く深くいけとよく言われたものだけど、そういう浅く広い人を求めている企業はたくさんあるっぽい。あとは、基礎物理の理論研究に憧れつつも現象論的なことばかりやってたのもコンプレックスだったんだけど、むしろ現象論的な研究のほうが企業には合っていたりもする。いや企業と一言でくくりすぎだけど。

前からうすうす気づいていたけど、研究というよりは勉強が好きなんだよな。新しいことを知りたいだけ。特に自分の分野だと、研究成果は基本的に全てオープンになる、つまり自分の研究だろうと他人の研究だろうとすぐにみんなのものになる。なので、自分で研究をするメリットは、他人よりほんの少し早く結果を知れるということだけ。他にも、自分にしかない新規のアイディアがあれば自分で研究するメリットもあるけど、宇宙物理の業界で新しい研究なんて数年に一度あるかないかだし、自分が思いつくことはきっと誰かも思いつく気がする。ということで、研究者としてやっていくのに大事なのは知的好奇心ではなく、競争心である。というのは、競争に負けた私の恨み言。かも。

仕事を見つけて、ポスドクをやめて、ひとつのところに腰を落ち着けて、短期間で海外引越しを繰り返して疲弊するような生活からは離れたい。美術品とか本とか買ったり、長く使うことを前提に家具とかを揃えたりしたい。生活がしたい。

どこにいても、何をしてても、美しいものを見つけることができれば、それだけでやっていけると思っていた。だけど最近は、美も愛も全然大したことないものなんじゃないかという気がしている。それがなぜか嬉しい。