200年後

ロサンゼルスに向かう機内でこれを書いている。ロサンゼルスに向かう機内で何かを書くというのは気取ってていいなと思ったので。しかもさっきまでウェルベックを読んでいた、これはかなり気取ってるんじゃないかしら。ウェルベック(あえて名字だけ書くのが気取りポイント)は別におしゃれでもないか。

ここ数年海外出張が多くて飛行機によく乗るんだけど飛行機にまつわる文化が大体嫌いだ。ファーストクラスとかビジネスクラスとかにあからさまに人が分けられるのが嫌だ。空港のラウンジに入るためにまわりのみんなが必死にマイルためてるのが嫌だ。免税品とかハイブランドの店が並んでる感じが嫌だ。荷物検査とか出国審査とかで審査される感じが嫌だ。狭い席でわざわざ機内食を食べるのが嫌だ。遠くに行こうとして全然遠くに行けないのが嫌だ。

飛行機に乗ると相対論的効果で時間が遅れるので少し寿命が伸びる、つまり少し未来に行ける、飛行機はタイムマシンです(宇宙線健康被害で寿命が縮む効果のほうが大きそうだけど)。
タイムマシンが出来たとして、200年後の未来を想像してみる。オウガは100年後、小川てつオは300年、わたしは200年。100年後のことはけっこう具体的に想像できそうな気がする、300年になるとよくわからない、200年くらいならなんとか今この世界と地続きに思える。

毎日朝起きて昼を過ごして夜寝る前までずっと嫌なニュースをたくさんみる。差別とか戦争とか。ニュースだけじゃなくて身近なとこでもクソファッキンガイズがクソファッキンサムシングを行う。暗い気分で毎日過ごす。
でも長い目で見れば世界はだんだんよくなっているという人がいて、ぼくも確かにそうだなと思う。たぶん200年前よりは今のほうがマシにはなっている。希望はある、、、ほんとに?

前に友達と話したこと。ここ十年くらい、特に安倍が二回目に総理大臣になってからの日本はほんとにひどくて差別と嘘のタガが外れている、後を追うようにして、日本だけじゃなくて他のたくさんの国でも。でもそういうのって表に出てきてなかっただけでほんとは昔からずっと壊れてて、むしろそれらが表に出てきて批判されているぶん希望はある、世界はこれでもだんだんよくなっている、みたいに頷きあった。

でも例えば実際に今まさに差別の被害にあってる人からしたら、これだけ差別が表に噴出してる今ここを昔よりマシなんて言えないだろう。誰かが声をあげてバックラッシュがあってまたそれを押し返してそういうふうにして世界は200年後には今よりマシになってるかもしれないけどそれでは遅い、人は200年も生きない。未来は今ではない。「もう少しで何が最高かは変わるから」。もう少しってどれくらい?

だけどもだけど、未来や遠い世界を想像することで慰められる気持ちは確かにある。それは単に、宇宙が膨張したりなんだりしていつか全てが消えて価値も何もなくなる我々はちっぽけエイリアン!みたいな、虚無感とセットの安心感もあるけど、そうじゃなくて、今ここから未来のどこかへの移動、そこにはきっと素晴らしい世界がある、例え自分がそこまでたどり着けなくても誰かがそこで幸せに暮らしてたらいいなって感じの、知り得ぬ誰かへの愛がある。人間はそういう愛を想像することができる。

だけどもだけどもだけども、そうやって夢想してる間にも弱い人から順番に死んでいく。世界はだんだんよくなるかもしれないけど、200年後も200光年先も今ここからの延長で、世界は勝手にはよくならない、誰かが少しづつよくしてきて今がある、これまでの誰かが、hood に愛を注いだり不正義に怒ったり革命を起こしたりして今がある。たくさんの歴史に残らない人々がそうしてきて今がある。俺もそうする。そうやっていく。200年後には届かなさそうだけど、あと50年くらいは。