2018

すでに2018年を忘れかけていて怖い、が、すでに2018年の枠を越えて永遠になった記憶もある。死ぬまで忘れないだろう記憶。 

 

以下は2018年によく聴いたもの。しかし2018年に出たものではないものもある。去年はあまり新しいの見つけられなかった。

 

OGRE YOU ASSHOLE - 動物的/人間的

変化の季節だ

 

Fuck You - Lilly Allen

 

FUCK YOU VERY MUCH なことが多い年だった。まだ続くだろう。

参考:

レインボーフラッグに汚い言葉?意味はあった。しかし日本では知名度低くて伝わらず。 - Togetter

 

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唾奇 × Sweet William / Made my day

 

サイコーーーー!!!!!

沖縄の若者のしゃべり言葉そのままのラップ。サグい。

唾奇のロングインタビューの動画がもうほんと沖縄のリアルって感じで素晴らしかったのだけど消えてしまった。けっこうヤバイこと話してたから?

「クソ真面目に生きてもね また仲間が街で揉める」のラインがなぜこんなにも胸に刺さるのか。

 

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Spirit Fest - Anohito

 

さやさんがこんな歌詞を書くなんて・・・。すてき・・・。

2017年末のミュンヘンAlien Disko ってイベントがあってそのときこの曲聴いてとてもよかった。思わず twitter で植野さんに話しかけてしまった。

 

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ノナカさん。詳細は知りません。

声も歌詞も良すぎる。あと曲をアップするペースが早すぎる。幸せ。

 

 

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ビデオ見て!かわいいから!!!

 

 

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goood vibes!!!!!!! Yelladigos 関連もECDがおすすめしてて知ったんだったなそういえば。
Peavis おしゃれ・・・。

 

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あと映画はいろいろ観たけどスリービルボードちはやふるが特によかった。ちはやふるマジやばい。奇跡の映画。

思い返すと微妙だな〜〜〜〜って映画も多いんだけどそういうの大体飛行機で観たやつだ、いま気づいた。映画は飛行機で観るべきではない。でもスリービルボードは飛行機で観たけどそれでも面白かった、すごい。

 

去年は3月にドイツから日本に引っ越してそれから何故かハイな感じで国会前の抗議に行ったりソニマニ行ったり夜間中学でボランティア始めたりニューヨーク関西ミュンヘン上海いろいろ行ったり精神的には落ちてた気がするけど体は動いていた。仕事はあまりしていない、もうすぐ任期が切れる、怖い。

 

遊んでくれた人たち、新しく知り合ってくれたあなた、ありがとう。また遊ぼうね。

 

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20180130 追記

88 rising のコンピ "Head in the Clouds" をいまさら聴いたら最高すぎた。2018のベストはもうこれ一つでいいです。

灯台

 

霧が晴れた気がした
鳥の声が聞こえた
全ての美しさの
全てがわかったような

日々の中に花が咲いて
重ねた手があたたかくて
あなた 気取って踊ってたね

透明になる
溶け合って
透明になる

風が強く吹いて
あなたの帽子を飛ばした
気高さ 強さ
このまま どこへでも
海のむこう 新しい場所
体中 脈打つ 動脈
声が 重なって
瞬間 走る
眼と眼
あった 

離ればなれの花々
ぼくら
いま
いま
いま
いま

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引用元など
Give Them Hope - Harvey Milk
Moshi Moshi - 金子由里奈
Feel like dance - globe
離ればなれの花々へ - 山戸結希

輪郭

心とか頭の中にあるものを言葉とか音楽とかに変換すると必ず何かが欠けたり形が変化したりしてそのままは出てこない、ので、何かを外に出すのをためらってしまうことがある。だけど同じテーマで何度も何度も同じような表現をしていけば彫刻のようにもともと表現したかったものの輪郭が浮かび上がるはずだ、とようやく気づく。よかった。つまり大事なのは変わらずにいることだ。表現の集合が全体を浮かび上がらせるまでずっと同じものを見つめ続けること。何か大きなものを描きたいのであれば。

エヴァンゲリオン

海外の文学とか映画とかを読んだり観たりするときいつも「これ面白いけど自分は正しく面白がれているのだろうか」みたいな不安がある。例えば作品中にはあらわに描かれてはいないけど登場人物の行動原理のベースにキリスト教がある場合、わたしはキリスト教徒でないので物語を真に理解することはできない、要するに違う文化・違う文脈で生きている人たちのことを真に理解することは絶対にできないのだ・・・とここまで書いて思ったけどそれって別に海外文学とか洋画とかだけじゃなくて日本の文学でも邦画でもなんでも自分と完全に同じ文化文脈で生きてる人っていないわけだからそもそも他人が作った何かを真に理解するなんてことは起こりえない。勝手に受け取って勝手に楽しむしかできない。

 

とはいえざっくりした大きな文化圏ってものはあって、日本にどっぷり浸かっているぼくと例えば生まれも育ちもパリで初恋もパリで仕事もパリみたいな生粋のパリ太郎がフランス映画を観た場合、パリ太郎のほうがより作者の意図と近い感情を得る可能性は高いだろう。でもそれでいいのだ。ぼくには作者の意図を理解できないかもしれないが、パリ太郎だってぼくと同じようにフランス映画を楽しむことは一生できない。つまり私の感情は私だけのものなのだ・・・と、ヤマシタトモコ「違国日記」のマキオさんと同じ結論に辿りつく。

 

でもそれって孤独じゃない?辛くない?寂しくない?誰かと完全に一体化したくない?まぼろしでもいいから???まぼろし~~~~!!!!!

 

ところが孤独じゃない。いや孤独ではあるが寂しくはない。他人と一体化しないからこそ他人は他人だからこそ好きな人の顔を見て肌に触れて楽しくおしゃべりできるのだ。おめでとう!おめでとう!おめでとう!ありがとう!

思い出すことなど

風邪をひいている。

家の中を見回しながら詩と詩でないものをわけようとしてみる。ベッド、ソファー、シャワー、キッチンは全て詩だし、ロボット掃除機も詩かもしれない。自信を持ってこれは詩ではないと言い切れるものがない。家には生活と記憶があるからなんでも詩になってしまう。

京都でいうと鴨川は初めから映画で、そして九年住んだ結果あらゆる通りに思い出があり詩になった。京都のそういう力はとても強力で歩いてるだけで感受性と創造性がガバガバになってしまいトイレに捨てられているマクドナルドのゴミにすら心を揺さぶられてしまう。

吉田寮でいくつかライブを観た。ドラヒップは相変わらず完全にアイドルで、ライブの間だけむーとんとしじょうに完全に恋をしてしまう。わたしたちはいつも早すぎるそして遅すぎる、の振り付けが好きです。天使でひめちゃんが立ち上がるときとか幸太の腹立たしい感じのMCとか丈くんの声と腕の角度に感動したりとかした。懐かしい人に色々会ったりして勝手にフィナーレ感が盛り上がり寂しくなる。長くとどまっていてはいけない場所だと、以前ナンシーが言っていたことを思い出すけど、いつまでもこの場所が残っていて欲しい。ひとがどんどん入れ替わりながら場所だけはあってほしい。ぼくが住んでいたころも寮を潰すとかそういう話があって、そのころに剛平となにかの話をしていたときに、ぼくは「吉田寮がなくなっても新しい場所を作ればいい」って言って揉めたんだけど。そんな簡単なことじゃないって、あたりまえだけど、いまさらわかる。食堂の外でストーブにあたりながら、受付でこたつにあたりながら、昔のようには上手く弾まない会話をしながら、ひたすら寂しくなる。でもこういう寂しさがぼくにとっての吉田寮かもしれない。適当な時間に適当に帰った。

土曜日の昼過ぎにジョンのサンのライブを観る。「ベンチプレス or ベンチ」のレビューをクッキーシーンで読んで即買いしてからずっとファンだけど初めてライブを観た。ハワイの思い出とか高い家具とかの古めの曲もやってくれて嬉しかった。古賀さんが笛的な楽器をたまに吹こうとしてて、なかなか上手く音が出てなかったんだけど、途中で吹口の締め具合を調整したとたん音が出るようになって、その音が素っ頓狂でよかった。観終わったあと胸がいっぱいになってしまってその後の出演者を観ずにすぐ帰った。このひとたちは本当に、街ののりしろに立ってカタストロフィーを喰い止めている最中なのではないかと思った。ジョンのサンにあまりに感動したため翌日に幸福な人生(バンド名)を解散したけどすぐ再結成した。

最近ちょっとライブをしてみたいと思っていて、でもどういうふうにやればいいかわからなかったんだけど、ちょっと思いついた。ぼくともうひとりで、二人ともギターボーカルで、同じ曲を同じ演奏で、結果としてバラバラになる、という感じでやれれば素敵なんじゃないかと思う。と、ジョンのサンを観ながら考えていた。これは幸福な人生とは別でやりたい。

金土日と京都にいて、日曜日はドラサンのライブがあったけどしんどくなって観に行かなかった。ドラサンはノスタルジーが過ぎる。満喫でヒメゴトと岡崎に捧ぐを読んでだらだらしたあと、一時間くらい歩いて紫蔵にいきラーメンを食べた。移転してからは初めていった。京大近くにあったときはレジとかなくて店員さんがお金を直接エプロンのポケットに入れてたんだけど新しい店舗には券売機があって感動した。弟子みたいな人が二人いて、そのひとたちに対して店長が敬語で話してたのがよかった。相変わらず最高に美味しかった。ラーメンは京都が一番レベル高いと思う。

そのあと千本通りをうろうろして、考え事をして、京都駅で花束を探して、特に見つかることもなく、夜行バスに乗って帰った。ノスタルジー感を高めるために夜行バスにしたけど大人なので三列シートにした。最高に快適ですぐ寝てすぐ着いた。

 

あの頃の感情を思い出す。別に死にたかったわけじゃなくて、自分が死んでしまうんじゃないかと怖かったんだと、いまさら理解する。

羅列

たまたまたどり着いた古賀及子さんのブログがあまりに愛らしくて夢中で読んでしまった。いまほとんど恋に落ちている。早く続きが読みたいので早く時間が経って生活が貯まって欲しい。

まばたきをする体

 

コンビニでレシートを受け取るときに勢い余って引きちぎってしまい剛の者みたいになった。なるべく人当たりよく優しい人間でいることを普段から心がけているので大失敗だった。

 

おしゃれしたい期が到来してるんだけど相変わらず似合いそうもない服ばかり好きになってしまう。いまはこの sneeuw のキルティングコートが欲しい。

【9/28入荷】キルティングコート/sneeuw | MEETSCALストア | Parco Produce Shop

しかし仮に似合ったとしても六万円もする。六万円の服は買ったことがない。服以外でも六万円のものって買ったことない気がする。こういう高い買い物をしようとするとき脳内で「一生使うと思えば安い」みたいに囁かれるが自分はものもちがいいほうではないので一生使うわけはない。でも中学生くらいのときにダイエーで二千円くらいで買ったベルトは未だに使っている。クローゼットに入っているコートも三年か四年くらい前から着倒しているものが多い。もしかしたら私はものもちがいいのかもしれない。でもスマホはすぐ壊す。そういえばスマホって大体六万円くらいかな。今はもっと高いか。

 

昨日は職場の歓迎会でカラオケ付きの居酒屋に行った。メンバーがほぼ外国人なので英語の歌を歌わざるを得なくて行く前から緊張していたのだけどけっきょく何歌ったか覚えていない。焼酎を一本飲み尽くしてしまった。新しく来た人が喫煙者で、赴任していらい喫煙仲間を探していたらしく、外で一緒にたばこを吸いながらオースモーキンフレンド!とかいって抱き合った。彼は韓国の人で、BTSの話とかした気がするが覚えていない。韓国といえば Lee Lang という最高の歌手がいるぞ、と伝えておいた。

 

二日酔いでまともに動けず夕方になってやっと回復して近所の蕎麦屋に行く。天丼セットを頼む。衣が異常にカリカリでタレがしっかり染み込んでいるあまり類を見ないタイプの天丼で美味しい。ここの蕎麦屋はサンデーとアフタヌーンがたくさん置いてあり楽しい。

 

電脳コイルをだらだら見たりDJの練習をしてみようとしたりする。そういえば昨日の二次会のお店でお金をちゃんと払っていない気がするので月曜になったら確認すること。

 

親しい人がストレス性の何かになったと聞くとものすごく焦るというか申し訳ない気持ちになったりする。実際には自分にできることはほとんどなかったりそもそも自分と関係ないところでストレスを受けていたりすることが多いので特に責任を感じる必要はないのだけど。こういう感覚はナルシズムの一種かな、と思う。