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ツイッターとか見てると、コンビニの店員とか家族や友人に対する愚痴や不満がしばしば目に入ってくるのだけど、そういう言葉が全部自分に向けられている気がしてとても辛い。普段仕事場とかで人と話していても相手のちょっとした言葉や仕草に過剰に反応してしまっていつも怯えている。それが辛いからインターネットでコミュニケーション欲求を解消しようとするのだけど、インターネットの向こう側にも生身の人間がいるわけで、私はそういう顔も知らない人達にも嫌われたくないと思ってしまって結局そこでも窮屈な思いをして疲れる。その上そうやって怯えていたり人の顔色を伺ってばかりいるとそれはそれでうっとおしがられるのでなるべくそういう態度を隠そうとしてしまう。だから誰にも辛い気持ちを伝えられないでいる。自分でもこういう弱い自分をなかなか認められなくて、だから私は私自身にも拒絶される。でもこの文章を書けているのは、とりあえず今日は自分と向き合うことができているからで、それはよかった。でもいつかこの文章を読み返した未来の自分はきっとこれを削除してしまうだろう。 嫌われたくない、というのが全ての行動の原理になってしまっている。仕事も、音楽を作るのもそうだ。人の機嫌ばかり気にしている。好きな友達はちゃんといるし、彼らは優しくて私を遊びに誘ってくれたりもするのだけど、会うのが怖いししんどいので私は年に一度くらいしか友達とも会えない。悲しい。いまふと思ったがこのまま老人になったとして私は介護とか受けられるのだろうか。申し訳なさに耐えられないかもしれない。でもお金を払ってプロに介護してもらうなら、いけるかもしれない。貯金しなくてはならない。私は別に死にたくはない。 結局、全ては、無条件に愛されたい、というところに行き着く。あまりにありきたりで陳腐な願いだけどそれが真実だ。なにかの魔法とか秘密組織に改造されるとかで私の口から三分に一回ヘドロが溢れ出るようになったとしてもそれでも愛されたい。顔も身体も声や名前もなにもかも変化してしまって私が私でなくなってしまってもそれでも愛されたい。まあいいじゃん、で全てを済ませて欲しい。辛い。