シルトの梯子

グレッグ・イーガン「シルトの梯子」を読んだ。

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イーガンの作品で一番好きかもしれない (毎回言っている) 。

 

シルトの梯子っていうのは一般の時空?でベクトルを適当な曲線に沿って平行移動させるやりかたのことなんだけど ( シルトのはしご - Wikipedia ) このベクトルの平行移動を「自分とは何か」という問に対する答え、人生のメタファーとして使っていてそれにしみじみと感動した。

このシルトの梯子の面白いのは、ベクトルを平行移動させている (= 同一性を保つように移動させている) のに、A地点からB地点までどのような経路を取るかによって、A地点で同一だった2つのベクトルがB地点では別のものになりうること。

 

人間の細胞は日々入れ替わっていてある程度時間が経てばかつての自分と物質としてはまったく別物になる。肉体的なことだけじゃなくて考え方も変わるし好きな食べ物や好きな人や住む場所も変わる。そうすると「自分」ってなに?ってことになって不安になる。

小説の主人公チカヤは子供時代に、自分が自分でいつづけられることの保証のなさが怖くなり眠れなくなる。それに対してチカヤの父は、息子を寝かしつけながら次のような話をする。

父が言った。「 おまえが変わるのをやめるときは決して来ないが、それは風の中を漂わなくてはならないということではない。毎日おまえは、それまでのおまえだった人物と、新しく知った事柄とをもとにして、自分がどんな人間になるべきか、好きなように誠実な選択をすることができる。どんなことが起きても、おまえはつねにおまえ自身に忠実でいることができる。だが、いいか、おまえの中にある方位磁針は、ほかのだれとも同じになることはないんだ。その人がおまえの隣でシルトの梯子をのぼりはじめて、途中のあらゆる一歩を隣でのぼっていたのでないなら」

誠実さ、一瞬一瞬の自分に忠実でいること、それが自分を規定する。そしてその自分は、唯一無二のものになる。

 

この考え方が純粋な数学的アイディアから発想されていることそれ自体が、世界と自分を結びつけてくれるような気がして心強くなる。我々の脳と我々の精神や思い出や何かが、実際には少し高度な計算機やその計算結果に過ぎないとしても、それでも気高くあれるような気がしてくる。

 

様々な可能性が重なり合った世界で自分でいつづけること、誠実でいつづけること、新たな故郷を選ぶこと、思い出を持つこと。

そういうことについてつらつら考えながら音楽作った

 

 

測地線

時計台のほうへ行こう
君の町が遠くに見えるよ

頼りないな どうでもいいや
なんだかずっと胸が痛いな

歌うたおう 大きな声で
なんだっていいさ 遠くまで届け

時計台のほうへ行こう
鐘を鳴らして みんなを起こそう

遠くに聞こえるサイレンの音に
かすかに犬の声が混ざって
世界が2つ重なって揺れる
なんだかずっと胸が痛いな

まだ覚えてるよ