羅列

たまたまたどり着いた古賀及子さんのブログがあまりに愛らしくて夢中で読んでしまった。いまほとんど恋に落ちている。早く続きが読みたいので早く時間が経って生活が貯まって欲しい。

まばたきをする体

 

コンビニでレシートを受け取るときに勢い余って引きちぎってしまい剛の者みたいになった。なるべく人当たりよく優しい人間でいることを普段から心がけているので大失敗だった。

 

おしゃれしたい期が到来してるんだけど相変わらず似合いそうもない服ばかり好きになってしまう。いまはこの sneeuw のキルティングコートが欲しい。

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しかし仮に似合ったとしても六万円もする。六万円の服は買ったことがない。服以外でも六万円のものって買ったことない気がする。こういう高い買い物をしようとするとき脳内で「一生使うと思えば安い」みたいに囁かれるが自分はものもちがいいほうではないので一生使うわけはない。でも中学生くらいのときにダイエーで二千円くらいで買ったベルトは未だに使っている。クローゼットに入っているコートも三年か四年くらい前から着倒しているものが多い。もしかしたら私はものもちがいいのかもしれない。でもスマホはすぐ壊す。そういえばスマホって大体六万円くらいかな。今はもっと高いか。

 

昨日は職場の歓迎会でカラオケ付きの居酒屋に行った。メンバーがほぼ外国人なので英語の歌を歌わざるを得なくて行く前から緊張していたのだけどけっきょく何歌ったか覚えていない。焼酎を一本飲み尽くしてしまった。新しく来た人が喫煙者で、赴任していらい喫煙仲間を探していたらしく、外で一緒にたばこを吸いながらオースモーキンフレンド!とかいって抱き合った。彼は韓国の人で、BTSの話とかした気がするが覚えていない。韓国といえば Lee Lang という最高の歌手がいるぞ、と伝えておいた。

 

二日酔いでまともに動けず夕方になってやっと回復して近所の蕎麦屋に行く。天丼セットを頼む。衣が異常にカリカリでタレがしっかり染み込んでいるあまり類を見ないタイプの天丼で美味しい。ここの蕎麦屋はサンデーとアフタヌーンがたくさん置いてあり楽しい。

 

電脳コイルをだらだら見たりDJの練習をしてみようとしたりする。そういえば昨日の二次会のお店でお金をちゃんと払っていない気がするので月曜になったら確認すること。

 

親しい人がストレス性の何かになったと聞くとものすごく焦るというか申し訳ない気持ちになったりする。実際には自分にできることはほとんどなかったりそもそも自分と関係ないところでストレスを受けていたりすることが多いので特に責任を感じる必要はないのだけど。こういう感覚はナルシズムの一種かな、と思う。

 

 

重力

気力がないときに気力を振り絞って洗濯機まわすと洗われたものを干す気力が湧かなくて濡れたものを放置してしまい結果として洗濯機まわさないほうがよかったやんけってなるの悲しい。洗濯機を使うことを洗濯機まわすって言うのなんか好き。

 

M1三回戦をちらちら観た。さらばと金属バットが通って嬉しい。マヂカルラブリーすごくよかった。宮下草薙天竺鼠スリムクラブ、Dr ハインリッヒ好き。

 

音楽できるとすぐネットに上げてしまうんだけどほんとはもうちょっと寝かしたり練ったりしてみたい。文章もそうでツイッタよりほんとはブログを書きたい。なんでもない文章を。

 

ガラス窓と網戸の間に閉じ込めた蜂がそろそろ力尽きる。申し訳ないけど怖いので殺す。ごめん。ふと気づいたこと、数年前は虫殺すの平気だったんだけど最近は少しだけ恐ろしい。蟻くらいのサイズでも。蚊はガンガンいける。そのうち蚊も殺せなくなるかな。

 

皮膚科でもらった薬を塗っても肌荒れがなかなか治らない。老いを感じる。

 

パソコンの整理してたら芝居の脚本とか挫折した小説とか出てきた。今と同じようなことを目指しているのがわかる。変わってないことが美しいような、恥ずかしいような。恥ずかしい、誰に対して?

 

あまり喋るほうではないけど頭のなかでは常に会話してて、例えば誰かと話したことを思い出しながら途中で終わった会話の続きとか違った答えをした場合のその後の展開とかが勝手に進行していく。どこまでが本当に話したことでどこからが想像なのかわからなくなる。話し相手がどんな人だったのかもわからなくなってしまいそうで怖い。

 

人をちゃんと見つめていたい。

 

小学生のときに庭で草を焼いていて灰がどんどん空に昇っていくのを見た。どんどん分解されてバラバラになって透明になってどこまでも広がってあらゆる場所に存在して何でもなくなりたかった。勉強してわかったことは火葬されて燃えてもそこまでバラバラにならないし地球の重力からはなかなか逃れられない。でも宇宙膨張が加速し続けたら全部ちゃんとバラバラになる。

わしらスターダストや

11/3 土曜日 遠足で大宮の鉄道博物館に行ったあと浅草でスカイツリーを眺めてそのあと狼に会った。あるいは生き別れた双子に。初対面の親友に。離れ離れの花々に?

でもぼくは花ではない。土、地面、だれかの場所、花の影、芸術にならないもの、詩にはならないもの、メロディにもリズムにもならない、画面に映るけど誰にも見られない、取るに足らない、誰にも響かない、でもそこにある、ただあるもの。

あらゆる人の歌が聴きたい、団地の明かりひとつひとつにいのちが、生活が、歌や詩や踊りがあって、そのひとつひとつを見せてほしい、でも本当に知りたいのは、そこに入れなかったもの、芸術になるときに整えられて削られた何かですらなく、最初から無視されていたもの

あなたの顔の美しさ

担々麺

どもる言葉のリズム

 

この文章に書かれないすべてのこと

すべてのことを愛する決意

を、した、夜

でした

 

試みに、心に、記録として。

 

 

 

 

 

シルトの梯子

グレッグ・イーガン「シルトの梯子」を読んだ。

www.hayakawa-online.co.jp

イーガンの作品で一番好きかもしれない (毎回言っている) 。

 

シルトの梯子っていうのは一般の時空?でベクトルを適当な曲線に沿って平行移動させるやりかたのことなんだけど ( シルトのはしご - Wikipedia ) このベクトルの平行移動を「自分とは何か」という問に対する答え、人生のメタファーとして使っていてそれにしみじみと感動した。

このシルトの梯子の面白いのは、ベクトルを平行移動させている (= 同一性を保つように移動させている) のに、A地点からB地点までどのような経路を取るかによって、A地点で同一だった2つのベクトルがB地点では別のものになりうること。

 

人間の細胞は日々入れ替わっていてある程度時間が経てばかつての自分と物質としてはまったく別物になる。肉体的なことだけじゃなくて考え方も変わるし好きな食べ物や好きな人や住む場所も変わる。そうすると「自分」ってなに?ってことになって不安になる。

小説の主人公チカヤは子供時代に、自分が自分でいつづけられることの保証のなさが怖くなり眠れなくなる。それに対してチカヤの父は、息子を寝かしつけながら次のような話をする。

父が言った。「 おまえが変わるのをやめるときは決して来ないが、それは風の中を漂わなくてはならないということではない。毎日おまえは、それまでのおまえだった人物と、新しく知った事柄とをもとにして、自分がどんな人間になるべきか、好きなように誠実な選択をすることができる。どんなことが起きても、おまえはつねにおまえ自身に忠実でいることができる。だが、いいか、おまえの中にある方位磁針は、ほかのだれとも同じになることはないんだ。その人がおまえの隣でシルトの梯子をのぼりはじめて、途中のあらゆる一歩を隣でのぼっていたのでないなら」

誠実さ、一瞬一瞬の自分に忠実でいること、それが自分を規定する。そしてその自分は、唯一無二のものになる。

 

この考え方が純粋な数学的アイディアから発想されていることそれ自体が、世界と自分を結びつけてくれるような気がして心強くなる。我々の脳と我々の精神や思い出や何かが、実際には少し高度な計算機やその計算結果に過ぎないとしても、それでも気高くあれるような気がしてくる。

 

様々な可能性が重なり合った世界で自分でいつづけること、誠実でいつづけること、新たな故郷を選ぶこと、思い出を持つこと。

そういうことについてつらつら考えながら音楽作った

 

 

測地線

時計台のほうへ行こう
君の町が遠くに見えるよ

頼りないな どうでもいいや
なんだかずっと胸が痛いな

歌うたおう 大きな声で
なんだっていいさ 遠くまで届け

時計台のほうへ行こう
鐘を鳴らして みんなを起こそう

遠くに聞こえるサイレンの音に
かすかに犬の声が混ざって
世界が2つ重なって揺れる
なんだかずっと胸が痛いな

まだ覚えてるよ

ぼくたちみんなだね

嫁とか妻とか旦那とか主人とかいう言葉は性差別的であるという話があってそれはそうだろうなと思うのだけど、じゃあなんて言えばいいのかということになると上手い言い方が見つからない、パートナーとか相方とか恋人とか彼氏とか彼女とかそういうのもなんか違う気がして躊躇する。名前で呼ぶのが一番いいんだと思うけどそれにしたって一度はなんらかの呼称を経由しないと人に説明するときに困る。

特定の人間を一般的な何かに当てはめて呼ぶことに抵抗がある・・・と思ったけど例えば同僚とか友人とか先輩後輩とかについて誰かに話すときに「今日うちの同僚がね、、、」とかって話すことには違和感がない。なぜかというと私と私の友人や同僚との関係は一般的にいうところの友人関係、同僚関係とそう違わないからだ。

私は、私が恋人や相方やパートナーと築く関係が、他の人が他の人の恋人や相方やパートナーと築く関係とは全く違ったものだと信じている。この世に一人しかいない相手との、この世に一つしかない特別な関係であって欲しいと思っている。そこにキラキラしたものがある。だからそれに何かよくわからない名前をつけて欲しくない。

 

テレビを観てるとオネエとかオカマとか呼ばれる人達がよく出ていて、その人達は自分のことをオカマとかオネエ以外にゲイとかホモとか女装家とか色々な呼び方をする。カテゴライズを逃れる。それはそこにキラキラした特別な、自分だけの性があるからなんだろうと思う。

ところで話の流れとはあんまり関係ないんだけどテレビにはレズとかオナベとか FtM の人ってあまり出ないのは何故ですか。見た目が女だったり元女だったりするせいで声を発する機会が少ないのでしょうか。そこにまで男と女の力関係が影響しているのでしょうか。悲しすぎる。

 

僕はいまだに一人称が定まっていなくて私とか俺とか僕とかボクとか拙者とかウチとか色々使う。自分をどう規定していいかわからない。どのカテゴリーに居ればいいのかわからない。人間の括りにいるのもそわそわするから煙か土か食い物として在りたい。そこにキラキラしたものはない。不安だけがあります。

ECD

ECDが死んでめちゃくちゃ悲しいから色々適当に書く。枕元!ペットボトル!テトラポット、砕ける波!

最初にECDを認識したのは確か高校二年か三年くらいで、スーパーカーのインタビュー目当てで買ったクッキーシーンの Side B の表紙がECDだった。SEASON OFF が出た頃?その頃はラップといえばドラゴンアッシュとかラッパ我リヤとかしか知らないくらいだったんだけど、ECDがインタビューの中でドラゴンアッシュについて「事務所から許可もらわないとラップも出来ないなんてダサい」とか言ってて当時ドラゴンアッシュファンだった自分はなんだこいつ〜〜〜って思ったけど確かにECDの言うとおりである。でもドラゴンアッシュのことはいまだに好きで、そういう情けなさ弱さがいいなーと思っている。

ECDはいつでも最前線にいて、新しい音楽を常に紹介してくれていた。そのクッキーシーンのインタビューでも気になっているラッパーとしてイルリメを紹介していた。確かまだ一枚目のイるreメ短編座が出たばっかりくらいで無名といっていいころ。それでイルリメに興味を持って、SPOTLIGHT records のホームページを見に行ったらイルリメの 2nd の Quex から何曲か試聴できた、確か。そこで何度も聴いた。そんなふうに過ごしていた。他にも DJ 雨雲とかヤベミルクとか。あとは磯部涼古川耕がやってた HP/JP ってネットラジオイルリメがゲストで出て、アルファベッツ (やけのはら+かまさん) とか疎外 King MC とかを紹介してた。そういうところで知ったミュージシャンの CD を通販で買って聴くようになって、一気に世界が広がっていった。SPOTLIGHT records は京都のメトロというクラブを拠点にしているらしいと知って、それで京都に住みたくなって京大を受験した。なんとか受かって、沖縄から京都に引っ越して、色々な人に出会って、それで今の自分になった。

めちゃくちゃ話がずれたけど、ECD はそういうふうにして自分の世界を広げてくれた。ただの音楽じゃなくて、その後ろに膨大な文化の厚みの圧力があった。ECD が出るってことで RAW LIFE ってイベントの存在を知って、イベント自体には行けなかったんだけどネットでイベントの写真を色々見てたらものすごくいい写真を撮る人がいて、それで写真に興味を持つようになったりもした。なんか色々調べてその写真家のブログを探し当てた。植本 from アルテミスイチコっていういかれた名前のブログだった。そのあとECDと植本一子が結婚して、全然知り合いでもなんでもないけど嬉しかった。ずっとあとになってから植本一子がスタジオを開いた。記念写真を撮ってもらった。嬉しかった。

SEASON OFF に入ってる GO! って曲でECDが本名と住所をラップしてて、よくわからないまま衝動に駆られてその下北の家までいった。呼び鈴を押す勇気はなくて、郵便受けに近藤とコテラと作った自分たちの音源を投函して帰った。いま考えたら普通に気味悪かったと思う、すみません。内容も聴けたものじゃなかった。その時の自分たちのなかではすごいものが出来たってちょっと思っててマジキックに送ったりもしたけれど。

ライブも観に行った。一番覚えてるのは、確か京都の今は亡きウーピーズでの ECD+illicit tsuboi、やけのはらとか FLUID とか Yolz in the Sky とか dOPPO とかが出てたと思う。いや違ったかな?わかんない。とにかく覚えてるのは、会場に向かおうと八坂神社のあたりを歩いてたら前から明らかに異常な雰囲気の人が歩いてきて、見たら illicit tsuboi だったことと、ライブ中にECDじゃなくてツボイさんだけライトあたってたこと、ECDが "イェーーー!!!!"とシャウトしただけで一気にわけがわからなくなるくらいテンションが上がったこと。ECDの声には心を持っていかれる力がある。なにかのインタビューでECDが「ラップミュージックは声がよければもうそれだけでいい」みたいなことを言ってたのを思い出す。同意します。あとそのときのことで覚えてるのはやけのはらがゲットワイルドの7インチを自慢げに取り出して掛けたことと、YUKI の JOY を低速で掛けたこと。ところで今調べたらこのやけのはらとかが出てたイベントは「僕の京都を壊して vol.8」で、ECD+illicit tsuboi はそのイベントには出ていない。記憶が混同していた。

渋谷にあった Mixrooffice (今の dommune) で ECD が12時間DJするって企画があって、お金なかったけど夜行バスかヒッチハイクか何かで東京までいった。Mixrooffice に向かう途中でみたグラフィティをなんとなく覚えている。ものすごくアシッドに作り変えられた「翼をください」を延々とぶつけられてフロアでクタクタになった。また新しい世界を見せてくれて楽しかった。

むかし ECD BBS っていうネット掲示板があって、そこでECD2ちゃんねらーとかとよく論争していた。詳しい内容は覚えていないけどアントニオ・ネグリマイケル・ハートの「帝国」って本の話とかしてた気がする。マルチチュードって言葉をそこで知った。大学入ってからオールドスクールな左翼の友達とかが出来てイラク反戦デモとか参加したりしてたんだけど、その頃からECD市民運動に参加するようになってて勝手に親近感を覚えていた。素人の乱とかサウンドデモとかかっこよかった。「言うこと聞くよなやつらじゃないぞ」ってコールが出来たのはこの時期くらいかな?それがのちに、反原発運動とか反安保運動のなかで「言うこと聞かせる番だ俺達が」に変化していって、本当に感動したというか勇気をもらったというかまぁ上手く言えません。イラク反戦のころのECDはどっちかというとアナキストで、「言うこと聞かない」つまり権力に屈しないっていうのもアナキスト的発想から出たものだったと思う。それが「言うこと聞かせる番だ俺達が」になったというのはつまり、民主主義の担い手として主権者として国家権力に相対するってことで、成熟です。そういったECDの思想の変化に自分も影響されながら成長していった。ということはECDは人生の先生です。ECDIARY に始まりその後の著作も大体読んだ。本当に計り知れない影響を受けた。しばき隊とかC.R.A.C. とかの反レイシズム運動も ECD のおかげで知ることができた。市民運動の盛り上げ方とか差別との闘い方とか、自分の中で停滞していたものが大きく変わった。

ECDの好きな曲ランキングを考えていたが上手くまとまらない。たぶん一番人気があるのはさんぴんCAMP前後、ホームシックとか BIG YOUTH の頃なのかな。私は SEASON OFF が一番好きなんだけど振り返ってみると ECD のキャリアの中でもかなり特異な作品になっている気がする。ベストを除くとメジャーでは最後のアルバムで、アル中で入院して色々なものを失ったあとに出来たもの。ものすごくカラッとして冷めてて、詞もかなり抽象的、どこかずれてて狂っている。めちゃくちゃかっこいい。ベスト盤「MASTER」の最後三曲も SEASON OFF の路線で、特に「過去形のパラダイス」はもう本当にかっこいいので全人類に聴いて欲しいけど iTunes とかにもないし CD も廃盤っぽい?じゃあ CD 貸します。あとは SEASON OFF 以降だと「DJは期待を裏切らない」「関係ねー!」「HAIKU」「実在のひと」「Time Slip」「ECDECADE」「Wasted youth」「LUCKY MAN」とか。あーーーーー。

 

ずっとECD聴きながらこれを書いてたんだけど死んでしまったのに全く変わることなくECDの音楽が聴けてレコードって永久じゃんすごい。

レコード レコード レコード レコード レコードを聴いている今日も!