Youth

 

小さな部屋に集まって

笑ったり悪口を言ったり

 

コンビニのおつまみを食べて

ビールも沢山飲んだね

 

音楽はいつの間にか止んで

扇風機の音だけ残ってた

 

太陽はとっくに昇ってて

でもまだ帰りたくなくってさ

 

何かしたいなんて言うけど

何がしたいのかもわからなくて 

 

時間だけどんどん過ぎてく

でも少し愛しいと思ってる

 

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大学時代にだらだらとお酒を飲んでいたころのイメージ。

もうちょっと長くしようかな。

Dust

 

ひとりの夜の勢い。

前に作った Funeral という曲の冒頭部分をサンプリングして作った。ドラムは iMPC pro に最初から入ってるやつ。本物の MPC は触ったことないけど、このアプリだけでも色々遊べて楽しい。

 

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Dust

 

窓を開ける

誰かが僕を呼んでいる

太陽を嫌う

花が咲いている

体が硬直する

心臓と目が合う

 

手を振る

友達の呼ぶ声がする

線を引くために

花の名前を覚えようとする

 

台所で踊る

痙攣するように

音楽がいつも耳の中で鳴ってる

誰かが僕を呼ぶ

はやくしろはやくしろはやくしろ

線を引けたら後は飛び越すだけ

 

自分のものでない服を着て

知らない人の背中に腕を回す

なんだか知らないけど少し落ち着く

何を怖がっていたのかもうわからないけど

 

あの人の顔も忘れてしまって

汗の匂いも過ごした時間も

気の抜けたビールが地面に染みこむように

僕らの命もそのうちなくなる

でもそれでいいよ

 

一人で踊ろう孤独のままで

分裂した頭があなたを捉える

個別の僕らとすれちがうたびに

一瞬の笑顔で愛を囁く

愛を囁く

Nyx

 

四月頃に作った。

Mount Eerie みたいにしたかった。

iPhone についてくるイヤホンマイクを擦ると鳴るノイズが好きで、それをループさせてビートにしてみた。

 

これは画像を選んでいるうちに思いついた (思い出した) ことなのだけど、2000年前後に simple RPG というフラッシュゲームのサイトがあって、そこで公開されていた illusion walker というゲームが本当に好きだった。あの頃のゲーム体験は大事な思い出。Mouse on Marsidiology を聴きながらよくそのゲームで遊んでいて、いまでもそのアルバムを聴くと illusion walker のゲーム画面が思い浮かぶ。

画像は illusion walker に出てきたキャラ。名前とかは忘れてしまった。勝手に使ってすみません。

 

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Nyx (夜魔)

 

空回りしてる 頭は鋭く

体のどこかで 歌が生まれてる

 

囁き声がして 僕の目が潰れる

暖かな気配が 僕の手を引いていく

kthkbdmvsdv

いつの間にか年が明けている。困ったな。 

 

ちひろが死んだと連絡を受けた。驚いた。まだよくわからない。たぶんずっとよくわからないままだろう。確かに長生きをしそうな人ではなかったけど、でもなあ。可愛いおばあちゃんになって欲しかった。どうしてこんなことになるんだろう。

みんなが順番に居なくなっていくような錯覚がする。次は自分の番かも、と怖くなる。私は今すぐ死にたいとは思わないけど、でも最後まで生き残っていたいとも思えない。

嫌だな。なにがどうなのかもうよくわからないけどとにかく嫌だ。

 

そういうわけで来週末は京都に行くよ、と言ったら、「え、来週末は遊びに行こうと思ってたのに。いつ帰ってくるの?どうせ夕方でしょ」と言われた。なんでこんなことが言えるんだろう。悲しい。連動してショックを受けてしまうかもしれないと思って、人が死んだということをなかなか言う気になれなくて、機会を伺っていたんだけど、こういう反応で驚いてしまった。悲しい。

 

 

曖昧全部 痛い もういいや 耳を塞いでも聞こえてる

最初のほうで間違ったせいで 僕らどこにも行けなくなった

優しいふりで臆病なだけで 立ち上がるのも面倒になって

本音を全部遠回りさせて 歌い方も忘れてしまったんだ

 

さよなら僕の可愛い痛みよ もうそろそろ前に進むよ

早く行こうって単純な愛が 震えるこの手を引いてくれるから

宗教を作る

前々から興味があったんだけど宗教を作りたいと思う。

とりあえず教義を決めればいいんじゃないかと思ったので教義をここにリストアップしていくことにする。

 

1. 14:00 にお祈りをする

2. 怒らない

3. 月水金はおやつを食べなければならない

 

いま思ったけど教義にはそれなりに成り立ちのエピソードが必要なのかもしれない